11月1日に京王線でおきた17人刺傷の犯人、服部恭太(はっとりきょうた)容疑者の生い立ちは、千代市営住宅で母と妹との3人の母子家庭でした。
貧乏だったけど20歳までは幸せだった服部恭太容疑者の生い立ちを検証します。
服部恭太の小学時代の生い立ちは貧乏「母と妹と3人暮らし」
小中学校で同級生だった生い立ちを知ってる別の男性も「グループを作って行動するタイプではなかった」と振り返った。勉強やスポーツに秀でていたわけでもなく、「存在感がなかった」という。成人式の同窓会にも一緒に参加したはずだが、記憶がほとんどない。ただ、それでも数少ないクラスメートの一人。「身近な人なので、本当にこの件に関係したのであれば残念で仕方がない」
一方、息子が幼稚園から中学まで一緒で服部恭太の生い立ちをとてもよく知ってる女性(50)は「優しく、静かな子だった」と話した。思春期に荒れることもなく、高校生になっても路上で「恭ちゃん」と声をかけると、あいさつを返してきた。
今回の件で服部容疑者の名前が報じられ、大きなショックを受けると同時に「同じ親として」容疑者の母親が心配になったという。(引用:朝日新聞)
服部恭太容疑者の生い立ちは、福岡県福岡市博多区から始まります。
文春オンラインさんの記事で、服部恭太容疑者は小中学生のときから「母と妹の3人で住んでる母子家庭」だということが報道されました。
そして、服部恭太容疑者の幼少期の生い立ちを知る友人のツイッターから、
福岡市立千代小学校、千代中学校卒業
福岡県立魁誠高校(粕屋町)卒業
市営住宅の母子家庭?
博多区には、18校の小学校があります。そのうちの千代(ちよ)小学校が服部恭太容疑者の母校だと書かれています。
さらに後述しますが、中学校が「千代(ちよ)中学校」だということがわかったため、服部恭太容疑者の生い立ちは、その通学地区にある千代小学校が始まりだとほぼ確定しました。
福岡市立千代小学校の場所は、「福岡市博多区東公園8番1号」です。
グーグルマップで見ると、
公園のすぐ横にある小学校で、かなり大きな小学校です。
ただし、朝日新聞の記事の中にある「1学年が1クラスという小規模の小中学校」という言葉が当てはまらないので、この小学校ではないのかもしれません。
そして、ネットの掲示板には、同じく生い立ちをよく知る友人から
「少年野球やっていて陸上の大会にも出ていた」
「よく鬼ごっこをして遊んでいた。アニメがすきだったけど、映画の話はしなかった」
と投稿がありました。
小学校のときには野球少年で、地区の野球クラブに属していたようですが、調査中です。
服部恭太容疑者の生い立ちを知る別の友人たちの証言では、
「おとなしく、目立つことはなかった。最後に会った成人式でも印象は変わらず、どうしても今回の件と結びつかない」(小中学校の同級生)
「グループを作って行動するタイプではなかった。勉強やスポーツに秀でていたわけでもなく、存在感がなかった」(小中学校の同級生)
「優しく、静かな子だった。思春期に荒れることもなく、高校生になっても路上で『恭ちゃん』と声をかけると、あいさつを返してきた」(幼稚園からの同級生の母親)
と話しています。小学生の時の生い立ちは、かなりおとなしい子どもだと言えます。
住んでいた場所は、博多区千代の市営住宅です。2年前に解体されてマンションになっていて、服部恭太容疑者の母親と妹はすでに引っ越しています。
服部恭太容疑者の小学生時代の生い立ちでした。
服部恭太の中学生時代の生い立ち「砲丸投げとジャベリックスロー」
服部恭太容疑者の中学時代の生い立ちを知る友人のインタビューで、
「中学の時は陸上をやっていて。ド派手な格好をする人じゃないし。ハロウィーンで仮装して、表に出るタイプではなかった。クラスの中心にいるタイプではなく、後から付いてくるというか、隅にいるようなタイプですね」(福岡の友人)
服部恭太容疑者の中学生時代は陸上をやっていたようです。福岡市の大会での競技記録に「服部恭太」の名前が載っていました。服部恭太が3年生のときのものです。
この記録に、しっかりと「千代」と書かれています。本人で間違いないと思います。
千代中学校のときの服部恭太容疑者の生い立ちを紐解きます。
服部恭太容疑者は砲丸投げとジャベリックスローというやり投げに近い種目の選手でした。
ジャベリックスローは、70cmくらいの棒状のもので、
こういったものを投げる競技です。野球の投球フォーム確認やトレーニングに使える練習用のやりです。これを使った競技も行われています。
福岡市立千代中学校のある場所は、「福岡市博多区千代4丁目17-47」です。
グーグルマップで見ると、
真ん中の赤いタブのところで、県庁のすぐとなり、千代小学校のすぐとなりです。周りには会社や飲食店、市営住宅などあって、かなりな繁華街の中に建っています。
ストリートビューで見ると、
大きなアパートなどに囲まれている都会の中学校という感じです。
中学時代の服部恭太容疑者は、陸上を頑張りながら楽しく過ごしていたようです。
母親も一生懸命働きながら、服部恭太容疑者の中学時代の生い立ちを見守っていました。
ただ、中学校の友人たちからちょっと気になる証言もありました。
「あまりしゃべらないので何を考えてるのかわからず、ちかよりにくい人だった」
「誰もいないところでは、虫かなにかを捕まえて遊んでいたみたい」
服部恭太容疑者の中学生時代の生い立ちでした。
服部恭太の高校生時代の生い立ち「空手部主将」
(引用:文春オンライン)
上の写真は服部恭太容疑者が高校生の時の写真です。この写真の中の胸についてる校章から、この学校は福岡県立魁誠高校だと判明しました。
こちらは女子のブレザーのエンブレムですが、一緒だということがおわかりいただけると思います。
服部恭太容疑者の高校生時代の生い立ちは、この福岡魁誠高校で過ごしていたと判明しました。
福岡魁誠高校のある場所は、「福岡県糟屋郡粕屋町長者原東5丁目5番1号」です。
グーグルマップで見てみると、
市街地から少し離れた山沿いにあります。もう少し拡大してみると、
学校の後ろには多々良川が流れていて、その先は田んぼが連なっています。高校生活を楽しむには、とてもいい場所に建っています。
右手に見えるのが魁誠高校のグランドです。その奥に校舎があります。
福岡魁誠高校の評価を見てみると、
口コミは、
「あまり行くべきでは無いと思います。総合学科ということで、授業選択ができ、自分に合った授業が受けられると思います。私はここにきて友達ができたり、普通のことは普通に楽しめています。」(在校生女子)
「ふざけたいなら行けばいい。特に充実してるものもなく進学実績も悪いので進学を目指してるから他の高校に行くべき」(在校生男子)
「もう少し上を目指してみて、ダメだったら入る。くらいの気持ちが受けた方がいいとおもいます
校則も古くさいし、上の方の大学に進学したい人は絶望的」(在校生男子)
「経済力学力があれば、この学校は勧めない」(保護者)
というような学校です。
服部恭太容疑者は母と妹の3人で住んでる母子家庭です。お金のかかる大学や専門学校などは、あたまから行く気がなかったのではないでしょうか。
そして、1番近くにあってお金もそれほどかからない公立の学校に通っていたのだと思います。
その分、高校生時代はかなり楽しんでいたようです。文春オンラインさんの画像より引用します。
2枚めの写真は空手着を着ている写真です。
日刊スポーツさんによると、
容疑者を知る女性は「目立たない子だった。あいさつを欠かさず、人の荷物を持ってあげる優しい一面もあった」と語る。服部容疑者と高校の同級生だった女性の母親によると、服部容疑者は福岡市内の団地で母親と妹と暮らしていた。団地は数年前に取り壊され、今はマンションが立つ。「誰かとべったり仲が良い子ではなく、どちらかというと目立たない子だった」。高校卒業後は介護関係の仕事に就くと聞いた。約4年前に近所であいさつを交わしたのを最後に姿を見ていないという。(引用:日刊スポーツ)
服部恭太容疑者は、魁誠高校の空手部主将をつとめていました。
小学校は野球、中学校は陸上、そして高校では空手をやっていたことになります。
高校から空手を始めたのは、服部恭太容疑者が住む土地柄で、強くなりたかったからではないでしょうか。
というのも、戦後のドサクサ時にバラックがあったとか、在日タウンがあったりして、昔は相当治安が悪かった場所です。今でも「福岡市で一番住みたくない場所」とも言われています。
そんな中で育った服部恭太は、中学生の時などに何かやられたのかも知れません。
その反動で空手部に入って、主将になるまで強くなってしまいました。
日刊スポーツさんのインタビューでも、
「目立たない子だった。あいさつを欠かさず、人の荷物を持ってあげる優しい一面もあった」
「誰かとべったり仲が良い子ではなく、どちらかというと目立たない子だった」
という服部恭太容疑者の人柄の良さを伝えるものでしたが、ウラ側には、社会に対する恨みや冷めた目があったと伺い知れます。
とはいえ、空手部の主将をしていたということなので、人望や技術もありました。
このころの服部恭太容疑者は、空手を一生懸命練習して社会に出ても人にバカにされたりやられたりしたらやり返せるように準備をしていました。
服部恭太容疑者の高校生時代の生い立ちでした。
服部恭太の生い立ち「20歳までは幸せだったけど」
服部恭太の高校卒業からの生い立ちです。
成人式のときの写真が2枚、アップされています。
高校の同級生の母親からの証言で、
「高校卒業後は介護関係の仕事に就いたようだ」
ということです。おそらく介護ヘルパーのような体を使う仕事です。
生い立ちや金銭状況などを考えると、普通の仕事では雇ってもらえず、4kとも5kともいわれてる介護職に就職しました。
博多区の介護サービスは、約60軒ほどもあります。どこの介護サービスに勤めていたのか、調査中です。
ただ、やはりきつかったのでしょう。20歳になる前にその介護サービスをやめて漫画喫茶に勤めなおします。
そのころの生い立ちを知る友人のインタビューが文春に載っていました。
そして、恋人と別れた後に服部容疑者はあることを起こします。
「マンガ喫茶に来たお客さんを盗撮したらしいんです。それがバレて、警察にも連れていかれました。おそらく示談になったはずですが、お店はクビになりました。それまでの印象は良かったのですが、仕事の終わり方が良くなかった」(引用:文春オンライン)
服部恭太容疑者は20歳のころ、高校時代からか、卒業してからか、一人の女性と付き合っていました。
服部恭太容疑者のフェイスブックに、その彼女と一緒に写ってる写真が載っていました。ふたりとも笑顔でピースしていてとても幸せそうです。
文春オンラインにも彼女と写ってる写真が載っていました。
どちらの服部恭太容疑者も幸せそうな顔をしています。
ところが幸せはそれほど長くは続きませんでした。
しばらくして彼女と別れてしまいます。彼女は他の男と結婚してしまいます。
天国から地獄に落ちた服部恭太容疑者は、漫画喫茶の室内で、やってきたお客さんを盗撮するという犯罪を犯して逮捕されてしまいます。
どういう盗撮なのかは発表されていませんが、おそらく漫画喫茶内でよろしくない事をしていたカップルを映して、逮捕されたんじゃないでしょうか。
彼女に振られてそんな事をするとは、お金のためとは言えかなりメンタル的におかしくなっていたと言えます。
勤めていた漫画喫茶もクビになり、仕事を転々とし始めます。
3年ほど前に、大手携帯電話企業のグループ会社で契約社員として顧客サービスなどをしていました。
しかし今年5月に仕事上のトラブルを起こし、6月に退社します。人間関係にも行き詰まり福岡を飛び出します。
母親と妹と一緒に暮らしていた市営アパートは2年前に解体されています。母親と妹はどこかに引っ越したのでしょうが、服部恭太容疑者は一緒に付いていったのか不明です。
服部恭太容疑者の高校卒業から2021年6月くらいまでの生い立ちでした。
2021年6月からの服部恭太容疑者の行動
漫画喫茶から今年の6月までの生い立ちは、大手携帯電話企業のグループ会社で契約社員として働いていたこと以外は、現在調査中です。
服部恭太容疑者の2021年の6月からの行動は、
- 神戸
- 名古屋
- 東京(八王子)
と移動しています。その間、消費者金融からお金を借りてホテルに泊まっていたと自供をはじめました。
(追記します)
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