7/8の午前11時30分、奈良市で応援演説中の安倍晋三元首相が銃撃されて命を失いました。
現行犯逮捕されたのは、奈良市の無職山上徹也(やまがみてつや)容疑者(41)。山上徹也容疑者の生い立ちを検証していきます。小さい頃は大人しく引っ込み思案な子どもだったようです。
- 山上徹也容疑者の子供時代の生い立ち「大人しく引っ込み思案な子」
- 山上徹也容疑者の高校時代の生い立ち「郡山高校の応援団の可能性」
- 山上徹也容疑者の大学時代の生い立ち
- 山上徹也容疑者の大人になってからの生い立ち
- 山上徹也容疑者が海上自衛隊勤務のころ
- 山上徹也容疑者の海上自衛隊除隊後
- 山上徹也容疑者は一般企業退職後に派遣社員に
- 山上徹也容疑者の生い立ち「母親が特定宗教団体にハマって家庭崩壊」
- <追記>山上徹也容疑者の家から手製の銃が5丁見つかる
- <追記>山上徹也容疑者の犯行動機は特定宗教団体への恨みと判明
- <追記>山上徹也容疑者派遣先での行動が判明
- <追記>奈良県警が警備上の問題を認定
- <追記>山上徹也容疑者を追い込んだ宗教団体が判明
山上徹也容疑者の子供時代の生い立ち「大人しく引っ込み思案な子」
(引用:スポニチ)
~中略~
山上容疑者の子供時代を知る住民によると、奈良市内で育った母親は結婚して三重県に嫁ぎ、山上容疑者と3歳下の妹を出産。だが、夫を早くに亡くし、祖父が1人で住んでいた母方の奈良市平松の一軒家に母親、妹ともに3人で移り住んだ。
物静かな人だったという母親に似たのか「非常におとなしかった」というのが当時の山上容疑者を知る近隣住民の総評。「男の子がいた記憶がない」という人が多く、「外にあまり出ていなかった」と引きこもりがちだったとの証言も。一方で他人への攻撃性を想起させるような話はまったく聞かれなかった。
一家はその後、祖父が亡くなったこともあって、事件現場に近い西大寺近辺など引っ越しをくり返し、約15年前に再び、奈良市平松の一軒家に引っ越した。だが、ここにも山上容疑者はほとんど姿を見せていなかったようで、35年前から道路を挟んだ向かいに住んでいる男性によると、母親とは顔を合わせればあいさつをするが、山上容疑者らしき男性の姿は「見たことがなかった」という。
~以下略~(引用:スポニチ)
スポニチで紹介されている山上徹也容疑者の生い立ちは、
- 三重県で生まれる
- 父親は早くして亡くなる
- 3歳下の妹と母親と3人で奈良市に引っ越し
引越し先は母方の祖父の家がある奈良市の平松でした。
奈良市平松という場所を地図で見てみると、
赤い線で囲まれてる部分が奈良市平松です。唐招提寺や薬師寺龍蔵院、宝莱山古墳等があるすぐ西側の地区です。
航空図で見てみると、
一般的な民家が立ち並んでる住宅街です。
どの家に住んでいたのかはわかっていませんが、山上徹也容疑者は小中学校のときには、この地域に住んでいたものとみられています。
奈良市の小中学校通学区域を調べてみると、
- 伏見南小学校
- 京西中学校
山上徹也容疑者は、これらの学校に通っていたと思われます。
このころの山上徹也容疑者の卒アルが報道されています。
スポニチによると、
「一家はその後、祖父が亡くなったこともあって、事件現場に近い西大寺近辺など引っ越しをくり返し」
とありますが、おそらく高校ぐらいまではこの奈良市平松にいたのではないでしょうか。
平松地区の地図をもう少し拡大して、子供時代、事件現場、現住所(マンション)を表示してみると、
子供時代には奈良市平松に住んでいましたが、その後西大寺付近に何度も引っ越していたということで、事件現場付近の地理についてはかなり詳しかったと思われます。
付近の方の口コミも取材されています。
「非常におとなしかった」
「男の子がいた記憶がない」
「外にあまり出ていなかった」
近隣の住民からは、とても大人しく引っ込み思案な子どもだったと見られていました。
情報7daysの取材では、
「成績優秀で、周囲から尊敬されていた。特に図工が得意で、山上くんが作ってきたものにみんな驚いた」
と話しています。
管理人も昔、人見知りで引っ込み思案な子どもでした。親や教師から「もっと話をしろ」「口を開け」と責められていましたが、本当に嫌でした。
そんなときに優しく接してくれたのは、祖父だったり祖母でした。特に祖父なんかは同じように無口なひとでしたが、何も言わずに一緒にずっと遊んでくれました。
祖母も管理人の性格について何も言いませんでした。今から思うと、顔色や口調で色々と想像してくれていたんじゃないかなと感じています。
そういう人がまわりにいるだけで、おだやかに学校生活を続けられたり、安心して生活することができます。
山上徹也容疑者にとって、そういう人は祖父だったり、母親だったのかもしれません。逆に、その二人がいなくなってしまうことで、人格が崩れていった可能性があります。
山上徹也容疑者の高校時代の生い立ち「郡山高校の応援団の可能性」
(引用:毎日新聞)
住民の男性によると、同じ階の部屋は6畳で家賃は月3万8000円。ただ、学生や単身赴任者が多く、住民同士の付き合いはほとんどないという。複数の住民は山上容疑者について「知らない」と話した。
関係者によると、2005年ごろまでの3年間、海上自衛官として勤務した。
高校時代は、奈良市の南に隣接する奈良県大和郡山市の県立高校に通った。同級生の母親によると、テレビで山上容疑者が取り押さえられている様子を見た長男から「同級生や」「今は眼鏡かけているんやな」と連絡があった。山上容疑者は高校時代、3年間応援団に所属し、おとなしい性格だったという。長男は1年生の時に同じクラスだったが、会話した記憶がない。
逮捕された際、山上容疑者はグレーの半袖にカーキ色のズボンを着用し、肩からショルダーバッグをかけていた。目撃者によると、使われた銃は長い筒のような形。銃口が二つあり、銃身に黒いテープが巻かれていたという。(引用:毎日新聞)
毎日新聞によると、
「高校時代は、奈良市の南に隣接する奈良県大和郡山市の県立高校に通った」
と書かれています。大和郡山市にある県立高校は、
- 郡山高校
- 大和中央高校
のふたつです。
さらに、こちらのツイッターでは、
奈良市大宮町在住(シティホームズ大宮で家賃3万8000円)
郡山高校(応援団)
→同志社大学工学部中退
→海上自衛隊
→FPや宅建取得
→〇〇表彰(月1608万8177円売上)
→〇〇製作所
→飲食店やフォークリフト運転を転々(氷河期派遣バイト)
→自民支持
→〇〇が許せない
→安倍元首相を襲撃
と書かれています。
いまだ裏付けなどは取れていませんので、海上自衛隊除隊以降は伏せ字にさせてもらいました。
このツイッターによると、山上徹也容疑者は郡山高校に通っていて応援団をしているということです。
子供時代はとてもおとなしい子どもだったという証言があります。その証言から考えると、応援団というのはチョット考えづらいです。
また、郡山高校は偏差値68でかなりレベルの高い高校です。奈良県でNo.3とも言われています。
ただ、自宅からそれほど離れていないことと、手作りでも散弾銃らしきものを作ってしまうことから、郡山高校への通学の可能性もあります。
高校時代の知人は
「ごくごくふつうのひとでした」
と話しています。
山上徹也容疑者がどこの高校に行っていたのか、引き続き調査します。
山上徹也容疑者の大学時代の生い立ち
上記のツイッターによると、山上徹也容疑者は
- 同志社大学中退
ということです。
同志社大学と言うと、偏差値が55~62.5だと言われています。商学部、経済学部、文学部、法学部は高いと言われています。
高校が郡山高校だとすると、その偏差値の大学に入れるのも納得できます。
引き続き、山上徹也容疑者が同志社大学だったという痕跡を見つけていきます。
山上徹也容疑者の大人になってからの生い立ち
山上徹也容疑者が大学を中退してからの生い立ちは、
- 2002~5年 海上自衛隊
- FPや宅建取得
- 〇〇表彰(月1608万8177円売上)
- 〇〇製作所
- 飲食店やフォークリフト運転を転々(派遣)
山上徹也容疑者が海上自衛隊勤務のころ
山上徹也容疑者は大学を中退してから、海上自衛隊の任期制自衛官になりました。21歳のときです。
2002年8月に佐世保教育隊(長崎県)に入隊して3ヶ月の教育を受けたあとは、護衛艦「まつゆき」の乗組員として、艦載武器を取り扱う砲雷科に配属されます。
1年半後の2004年4月からは第1術科学校(広島県江田島市)の練習船勤務になり、2005年8月に任期満了となりました。
任期制自衛官とは、初めから任期が決まってる自衛官です。海上自衛隊は、3ヶ月の教育を受けたあと、2年9ヶ月を1任期として勤務する自衛官です。
山上徹也容疑者は1任期で、海士長として除隊しました。
中国新聞では、
「任期制自衛官として海上自衛隊呉基地(呉市)での勤務歴があるという山上徹也容疑者(41)について、『同じ部に所属していた時期がある』という元海自隊員は『印象もエピソードもない。短い期間で辞めてしまい、記憶に残っていない』と話した。海自関係者によると、『呉基地所属の護衛艦、続いて江田島の練習船に乗った後、休職して辞めた』という」(引用中国新聞)
と報道されていました。
マスコミでは「元海上自衛隊」という言葉をよく取り上げていて、初めは、あたかも自衛隊に対する不満があったかのように取り上げていました。
よく調べてみると、全く関係のないことだとわかりました。
わずか3年の間で、しかも海上自衛隊勤務の中で、個人が使う重火器の取り扱いを覚えたというのは、かなり無理があります。自衛隊期間中には、大きな銃の発砲もしていない可能性があります。
山上徹也容疑者の海上自衛隊除隊後
その後、FPや宅建を取って一般企業に入ったとされています。
さらに、月間売上が1500万円以上と、営業成績も良かったと書かれています。
このことが本当なら、郡山高校や同志社大学の事も含め、山上徹也容疑者は頭が良かったのだと感じます。
小学校から図工が特異だったのも含め、頭が良くて手先が器用じゃないと、あんなに精巧な手製の銃は作れないんじゃないでしょうか。
サンジャポに出演していた専門家によると、
「構造は火縄銃のようなもの」
と話されていました。
山上徹也容疑者は一般企業退職後に派遣社員に
山上徹也容疑者は一般企業を退職した後に、大阪府にある人材派遣会社に所属していたということです。
派遣社員として、京都府の倉庫会社でフォークリフトの作業員として働いていました。
それも、4月には「しんどくなった」という理由で退職を申し込み、5月中旬に退職しました。
山上徹也容疑者の生い立ち「母親が特定宗教団体にハマって家庭崩壊」
山上徹也容疑者の生い立ちを生まれたところから、小学校、中学校、高校、大学、成人とみてきました。
大学を卒業して、海上自衛隊にはいり、一般の企業で働いていたときまでは、普通の青年だったと思われます。
それがなんとなくおかしくなったのは、派遣会社に所属する前じゃないかと思われます。
山上徹也容疑者は犯行の動機について、つぎのように供述しています。
「命を奪おうと思って狙った。特定の団体に恨みがあり、安倍元首相がつながりがあると思って犯行におよんだ」
母親がある宗教団体にハマってしまった結果、家庭崩壊したようです。寄付からの借金など、問題が起きたのかもしれません。
過程が崩壊したのは・・と逆恨みした山上徹也容疑者は犯行に及んだんだとおもわれます。
<追記>山上徹也容疑者の家から手製の銃が5丁見つかる
家宅捜査の結果、手製の銃が5丁も出てきました。派遣社員をしながら作っていたと思われます。
サンスポのマンション住民への取材によると、
「何日か前に、上の(部屋の)ほうからドンドンドンドンって、何かを壁に打ち付ける音がした。うるさいな、工事でもしてるんかなと思った」
「ギーギーとなにかを切る音がした」
というくちこみがありました。銃の試し打ちをしていた可能性があります。
<追記>山上徹也容疑者の犯行動機は特定宗教団体への恨みと判明
(引用:読売新聞)
安倍氏を狙った動機について、「トップとの接触が難しく、(安倍氏が)団体とつながりがあると思った」と述べている。
山上容疑者は「母親が(この宗教団体の)信者で、多額の寄付をして破産したので、絶対に成敗しないといけないと思っていた」とも話しており、県警が確認を進める。(引用:読売新聞)
山上徹也容疑者は、
「トップとの接触が難しく、(安倍氏が)団体とつながりがあると思った」
と供述しています。
文春オンライでも、
実際、山上容疑者は調べに対し、『政治信条への恨みではない』と話しつつ、『特定の団体に恨みがあり、安倍元首相と団体がつながっていると思い込んで犯行に及んだ』『そのせいで家族がバラバラになった』などと犯行の動機を説明しているようです(捜査関係者)」(引用:文春オンライン)
山上徹也容疑者の母親は、その団体に多額の寄付をしてしまい破産してしまったということです。それを逆恨みした山上徹也容疑者が、その団体のトップの代わりに狙ったと言うことです。
<追記>山上徹也容疑者派遣先での行動が判明
(引用:日刊スポーツ)
事件発生後、社員から聞き取り調査した結果、工場内で同僚やトラックのドライバーとトラブルを起こしていたことが分かった。20年10月から今年5月までフォークリフトで倉庫の荷物を運ぶ仕事をしていた。
退職直前の今年3月、同僚が作業の手順違反を指摘すると、口論になり、山上容疑者が同僚に「そしたら、おまえ、やれや!」。自己流の積載方法をごり押し、年上の50歳のベテランと口論になったという。普段の会話は、ですます調だったが、あまりの急変ぶりに責任者は「自己中心的にわがままな性格が露呈してきていた」と証言した。同僚とのトラブル後、体調不良を理由に欠勤が増え、退社した。
今年1月ごろには、外部のトラックのドライバーと荷物の積み込みでトラブルが発生していた。運送会社からは「山上を外してくれ」と口頭の申し入れがあった。会社では仕事以外の会話をすることはほとんどなく、LINE(ライン)で友達としてつながっている社員もいなかった。(引用:日刊スポーツ)
山上徹也容疑者は、今年の5月まで派遣社員として京都府の倉庫会社でフォークリフト作業員として働いていました。
そこの責任者のお話では、
- 仕事のやり方で50歳のベテランと口論
- 運送会社のドライバーともトラブル
- 運送会社から「山上を外してくれ」と申し入れ
責任者の方のイメージとしては、
「自己中心的にわがままな性格が露呈してきていた」
と感じていたといいます。
さらにLINEなどで繋がってる親しい社員もいなかったと証言されています。
おそらく、めちゃくちゃ頭の良い山上徹也容疑者は、倉庫管理をしてる先輩や上司、毎日代わる代わるやってくるトラックの運転手を見ると、「なんでこんなやらなくてもいいことをやってるんだろう」と思っていたのかもしれません。
管理人が昔働いていた会社にも、同じような人がいました。
普段は大人しく、口答えせずに一生懸命仕事をしている頭の良いひとでした。ある日、ちょっとアドバイスをしたときに、いきなり「やってらんねーよ」と言って、机をけっとばしたことがありました。
その日から、事あるごとに反発されて、結局はやめていきました。
思い返してみると、何度アドバイスしてもその人は自己流のやり方を変えていませんでした。
頭は良かったんですが、母子家庭とか、お金のこととか、なにかのことで頭の中がいっぱいだったんだと思います。
そこに、言葉少なくアドバイスをしたことで、そんなつもりもなかったのですがパワハラだと思われたのかもしれません。
今から思うと、もっと話を聞いてあげて、鬱憤とか不満を聞き出してあげれば、あれだけ追い詰めることはなかったと思っています。
山上徹也容疑者も同じように、周りの人が敵だらけに見えたのではないでしょうか。
母親は宗教にハマって寄付して破産、妹も別なところに、自分にも連帯保証や借金取りたてが来ていて、家族はバラバラ・・・・。
自分は何でもできる、お金儲けも幸せな結婚も親孝行も、何でも手に入れられると思っていた将来が、母親がその宗教団体に入ったことでめちゃめちゃにされてしまいました。
そんなとき、その宗教団体のことをよく言うCMや勧誘CMが流れてきたら、そりゃ頭にきますよね。
それでも山上徹也容疑者も、話を聞いてくれる親しい友人が一人でもいてくれたら、おそらくこんなことはしなかったと思います。
<追記>奈良県警が警備上の問題を認定
(引用:スポーツ報知)
安倍氏の来訪が7日夕方に急きょ決まったことを受け、県警では警備の計画書を作成。「警護・警備はどのような日程にも対応できるようにすべきもの」という鬼塚氏が、事件当日の午前に承認したという。
安倍氏は6月28日にも銃撃現場付近で応援演説を行っており「特段の違和感や、修正すべき点を感じたところはなかった」と計画書に疑問は抱かなかったという。だが、結果的に正しく機能しなかったことに「問題点は警備体制なのか、状況か、緊急対応力か、警護員の能力なのか。早急に確認をして具体的な強化策の検討を行っていく必要がある」と見直しを明言した。
鬼塚氏は1995年に警察庁に採用され警備に従事していたこともあり「27年余りの警察官生活でも最大の悔恨。痛恨の極み。責任の重さを痛感しております」。一方で、辞任については「事件の全容を解明し捜査を尽くすことが、お亡くなりになられた安倍元内閣総理大臣への最大の弔いであり、責任だと考えております」と否定した。(引用:スポーツ報知)
奈良県警鬼塚友章本部長は、
「警護・警備に関する問題があったことは否定できない」
「問題点は警備体制なのか、状況か、緊急対応力か、警護員の能力なのか。早急に確認をして具体的な強化策の検討を行っていく必要がある」
「27年余りの警察官生活でも最大の悔恨。痛恨の極み。責任の重さを痛感しております」
と話しており、事件の全容を必ず解明すると、話されていました。
<追記>山上徹也容疑者を追い込んだ宗教団体が判明
(引用:現代ビジネス)
ヤフーニュースで、山上徹也容疑者を追い詰めた宗教団体のことが明らかになっています。やはり、あの団体でした。
新たなことが分かり次第、追記していきます。
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